通訳って深い

こんにちは。
気づけば7月も後半になりました。
いかがお過ごしですか?


この間はものすごい大グモにおそわれたかなりリアルな夢を見て
(クモの触覚のチクチクした感じが非常に鮮明でした)
「あぁぁぁクモがぁぁぁ!」と
ものすごい大声を出して起きたら
オットもつられて目をさましてしまって
ハリーポッターのロンか!」とつっこまれました。
テレビシリーズしか見ていない私としては
不死鳥の騎士団のあとどうなったのか大いに気になるところです・・・


大声を出して起きたのは
泉ピン子にうなされた以来です。


お施主さん宛のメールに「山あり谷あり」と書こうと思って
「谷あり波あり」なんて書いちゃうから
こんなことになっちゃうんですね・・



私は生きています。
まだ見積が出ていないので、微妙な時期ではあるのですが。
大学も合評が終わったので、少し落ち着きました。



ときに
設計ってなんなんだろう?と
最近改めて考えたりしてしまっています。


大きく言うとやはり「通訳」に似ていると思います。
実際、言葉の通訳をするときの感覚とよく似ています。


その人が言いたいことを
ときに言葉を補ったり意訳してやらないと
「あーそうそう!それがいいたかったんだよ!」にはならないのですが
それまでにはまず何よりその本人、その背景
言っていることの根拠をよく知る必要があるように思います。


一緒に時間を過ごしていくうちに
だんだん分かってきて、
そうするといちいちリクエストされなくても分かる感じになるのですが
やっぱりそれまでにはいろいろな場面で時間と空間と共有しないと。
このプロセスが長いのですな・・・


また、通訳の一番のキモは
その人の言っていることからさらに未来へ時間をすすめて
そこの青図を描いてやらないといけないことかもしれません。
その青図がまだ誰も見たことのない未知の青図である場合にはなおさら
通訳に工夫と努力が必要です。
設計のクオリティはそこのイメージ力によるところが大きいと思います。



そしてこれは大学で今期自分自身学生さんによく言ったことですが
図面は手紙だと思います。
見積書だって手紙のうちの一つかも。


老眼の人に小さい字で手紙を書くのもやっぱりイカンです。
(やっちゃいますけど)
言いたいことの結論先送りでクドクド書くのもいけないし
やたらタメ口でもダメだし
だからといって慇懃過ぎもダメだし
稚拙でもいいから、自分自身の言葉で
頭の中で描いている情景を共有できる描写で書かないと
本当に通じないですね・・・



仕事一つ一つが
日々勉強で
日々猛省で
だからこそしんどいし
だからこそ楽しいともいえるかもしれません。



チームのモチベーションを高める方法を考えるというのも
私の今回の大きなテーマの一つです。




いろいろ支離滅裂に書きましたが
とにかく夏、がんばります。


ではでは!