きっかけとしての建築


昔、韓国人と台湾人の友達と
「過労死」について語り合っていたとき
(20代にしてこの重い話題が
どうしてトピックにあがったのか全く記憶なし)
誰が言い出したのか
日本語、ハングル、北京語というそれぞれの言葉で
どう表現するのかが気になりだし
どうやら元々の単語(漢字)が同じじゃないか、という話になって
いっせいのせ、で発音したところピタリと一致。
その酷似ぶりに
3人でえらくエキサイトしたことを思い出しました。


はい。
うっかりそんな昔話を思い出してしまうくらい
疲労感が残る月曜日です。
肩に2人くらい乗ってんじゃないか?と思ったりして。


土日は大学でしたが
2日で10コマ。よく働きました。
同じ週の祝日と合わせて15コマ。
年度末なので、レポートの提出も相当な数で
先週レポートの添削が30部終わったと思ったら
今週新たに30件のテストの添削をしています。
その紙の重みが、もはや恐怖です・・・


はい、グチばかり言うのはアマチュアな証拠ですね。
週も明けて心機一転、がんばります。



まぁしかし大学の仕事をすると
普段素通りしているようなことも
ちょっと立ち止まって考えることがあります。


今回、学生さんと話していて
自分が建築と初めて出会ったと思える瞬間のことを思い出し
そうしたら急に目が覚めたような気持ちになりました。


大学2年のとき
建築学科にいながら、建築のことを何一つ知らなかった私が
アメリカに旅行をして偶然足を運んだ建物に
何だかよく分からないけれど
天国というものがこの世にあるのであれば
こんな雰囲気じゃないか、と思えるほど
ひどく衝撃を受けたことを思い出しました。


それはルイス・カーンブリティッシュ・アート・センター
カーンのカの字も知らなかった私に
知人が「せっかくだったら行ってみたら」と
すすめてくれたものだったのでした。


そこは、光も素材もスケール感も音の感じも
すべて不思議なほどぴたっぴたっとはまる感じで
自分が好きなだけそこにいても
自分もそのまわりの人も全く違和感を感じないだろう
おだやかな大きさで溢れていました。


こういう感覚は
桜が満開でぽかぽかと天気の良い日の鴨川べりで
そこにいるおばあちゃんがサンシンを弾き
あそこにいるおにいさんたちがフリスビーをし
家族連れがおにぎりをほおばり・・といった
風景で出会う感覚と似ているかもしれません。


大らかで、それぞれが自由で
背中をそっと押してくれるような
そういう場所です。


・・・うーむ。
厳密にはもうちょっとだけ違って
そのちょっと背中を押すというのが
そこにいる人の力を
呼び起こす、みたいなそんな感じ。


会社や仕事といった環境が
人を強くし、育てるのと同じように
人間をはぐくむようなそんな環境。


目の前のことにアワアワしていると
うっかり忘れてしまいそうになりますが
野球選手がバッティングフォームの中で
ミートの感覚を呼び覚まし試合に向かうように
たまに思い出すといいかもな、と思ったりしました。


・・そういえば、年始の誓いとして
「脱・慌」を標榜していましたね。
(言ってることとやってることがバラバラすぎ)


明日は現場です。
ではまた。