はい、夏になりました。

3日坊主もとい、3日すら続かないとは・・。


義父に「しばらく書いてないね」と言われ
「・・・え、読んでたの(→別に読まれて困ることは書いてないけどさ)!?」と内心ドギマギです。


はい、6月です。すっかり初夏です。ごぶさたしております。



ときに
一人で(オットとは打ち合わせしていますが)黙々と内向きに作業が続く時期と
外に出て人に会って外向きに仕事が進む時期と
なんとなくそんな周期があるような気がするのですが
春から外向きブーム到来です。


5月の末は、友人の紹介ということで、
アメリカの大学のサマープログラムの引率補佐?を
お手伝いしたりしておりました。


前期は大学に週2回ほど通っているので
結局彼らの京都1週間滞在の中、わたしがご案内できたのは2日ぽっちりでしたが
2日も歩きっぱなし、緊張しっぱなしで
(わたくし、極度の方向音痴で相当知っているところじゃないと人を案内できる自信がありません。)
家に帰るとバッタンキュー状態(←死語?)でした。



単なるわたしのイメージの問題で
もっとスカした大学生を想像してビビっていましたが
実際は非常に素直ないい子たちで
四条から出町柳に行くつもりが見事に逆方向の三条まで行ってしまい
改札出るまで気付かなかった私にも「ノープロブレム」と肩をたたいてくれる大人さ・・・


なかでも印象的だったのは好奇心いっぱいのご一行の
懐石みたいなおとなしい日本食とは違うものが食べてみたい!というリクエストから予約された最終日の信州料理のお店にて。


出てきた熊やら狸やらイノシシに大騒ぎ。
「その熊の皿とって」「そのイノシシあまってるんだったらちょうだい」
「その熊に狸のせてみて」といった不思議な会話が飛び交うなか
グループ唯一のインド系のベジタリアンの子(魚はOK)が
自分用に用意されたお豆腐や厚揚げに少し物足りなさを感じたのか
蜂の子とイナゴに箸をのばすのばす・・・・
(温かい血が通っている動物でなければいいのか?)


わたしが予約したのではないその居酒屋さん。
はじめは「京都なのに信州料理?」なんて思いましたが
とってもきさくで太っ腹(!)なマスターのおもてなしもあり
みんなとっても喜んでいました。


以前、和菓子の達人が
「たとえばサクラの季節にお客様をもてなすお菓子として
もっともふさわしいお菓子は何か?」というお話をしてくださったことがあったのですが
それはサクラをそっくり模した美しい桜の花のお菓子でも
贅をつくしたお菓子でもなく
「桜」という会話を引き出すことのできるお菓子なんだという話を思い出し
まさにそれだなぁ、なんて考えたりしていました。



・・・・そんなこんなで
いろんな人と会うと、コミュニケーションについて考えさせられる機会が
おのずから増えてきますね。


日本語とか英語とか言葉の問題じゃないんですね。
まさに心の問題。


英語でも日本語でも、
書いてもしゃべっても
通じ合えたなと思える瞬間とそうでない瞬間がある。
理解できたな、と感じられるときもあれば、
理解されている、と感じられないときもある。


時を同じくして、
山田ズーニーさんの「あなたの話はなぜ『通じない』のか」を読んだのですが
ちょうど似た問題意識を強く持っていたので、心と体にしみわたるようでした。


ほぼ日刊イトイ新聞でも(同じ内容ではないけれど)読めますので
興味あったらぜひ読んでみてください。

おとなの小論文教室



理解するということと理解されるということは
本当は表裏一体だから
理解することなく理解されたいと思うことはものすごく矛盾に満ちているんだけど
ちょっと忙しくて手がまわらないとか
疲れてめんどくさいとかで理解する努力を怠った途端
理解することなく理解されたい思いばかりが募ってしまって
それでなお一層の理解されない寂しさの悪循環に入るなぁと思ったりもします。
(最近のいろんな事件もまたしかり)


そうなんです、理解って意志だから
意志があれば技術もついてくる。
だから理解にはすごくエネルギーがいるんだよなぁ・・


久々に書いたと思ったらまたグチか?といった感じですが
ではまた。