見え方を選ぶ


昨日書いた事務所のこと
また興味あれば、ご覧下さい。


「そんなんどこも何回目まではタダとかやってるやん」
という誤解もまた、怖かったりするわけですが
わたしのイメージするのは
もっときちんと形になるまでじっくりがっつりやるという図です。


だから「これこれこういうのをただ製図して」というのもあてはまらないし
「何もかにもぜーんぶお任せします」というのも
あてはまらないと思われます。


そして、目的はあくまでも体験の獲得とアーカイブ化。
設計事務所ショッピングのためとはちょっと違う。
そんなことを考えています。


さてさて。


おいおいとつっこまれるだろうことを今さら臆せず書きますが
ひとつの建築があったときに
それをどう感じるかという反応がこうも違うことに驚いています。


目の前にあるものをそのままそっくり見る人と
そこからあるものだけをすっぽり取り出して見る人がいるのですね。
逆にまだ見えていないことが見えるということもあるのですけど。
(おどろおどろしい世界の話ではなく)


個人の嗜好の問題とかじゃなくて
あるのに見えない感じられないということが
どうして起こってしまうのか。


人間だって動物なんだから
本能的なことに働きかけるある部分については
つきつめていけば何か共通点が見つかるかもしれない、なんて
昔はもっと楽観的なことを考えていましたが
どうもそうでもないみたい。


こういうとき「この人はこうだから」と
レッテルをつけて考えてしまえば簡単かもしれないけれど
もう少し丹念に
それこそ状況をそのまま見て
理解してみたいと思ったりしています。
その違いって大事な気がする。


わたしのもの書きのモットーの一つは
「なるべく具体的に書く」でしたが
今日はふわふわとしたえらく抽象的な書き方になってしまいました。


ホームページトップでも書きましたが
すみません。
リニューアルが遅れています。
9月にはぜひ!