市と井戸


マイケル・ムーアの「sicko」見ました。


この監督のこれまでの映画はなぜかあまり興味を感じず
見たことがなかったんだけど
コレ、おもしろかった。よくできていた。


本当にお恥ずかしい話ですが
わたしはアメリカに2年間住みながら体がめっぽう丈夫なため
一度も病院に行ったことがなく
本気でショックで、ふるえあがりました・・


まずは題材の選び方がうまい!
皆保険制度がないからといって保険に入っていない人をとりあげるのでなく
ごく普通の保険に入っている人の問題を取りあげるところ。


ドキュメンタリーだけど構えさせず
あくまでも理解を助けるため、重く感じさせないための茶目っ気ある工夫。


でも一番よかったのは、
批判で終わらないですごく前向きで建設的だったところかも。
「映画をつくる」ということの意味と影響力をよくわきまえて
愛のあるつくりになっていたところがぐっと来ました。



ときに
先日「ミラボと実家」に添える文章を書いていて
「市井(市井の人々の「しせい」)」という言葉の意味を
ずっと考えていまして。


昔、中国では市のたつところ、井戸のあるところに人が集まるから
それでまちのことを「市井」というそうな。


自分のつくった「もの」や「こと」の交換の場が
「まち」の源泉ということなのかな。


この映画の興行がどれくらいになるかは分からないけれど
何か人ごととは決して思わせない「もの」に
(すごく自分に近いこととして感じられるつくりになっている)
人をひきつける力があるんだろうな、と思って
またまたこの「市井」という言葉を思い出しました。


「自分でつくった」というより「自分で編集した」
その人ならではのプレゼンテーションというのは
なんというかその場に行っておすそ分けされるエネルギーの量が半端でなく
しかもそのエネルギーというのは循環するような気がします。


おもやにとっての「事務所」や「庭」が
こういう「市」や「井」に近いものであってほしいと思い
なんだかまだもやもやと考えていて。


ホームページがほんとにリニューアルして(今は枠だけリニューアル)
少し落ち着いたら
「市井」のことをもうちょっとはっきり描いて
少し事務所の模様替えをしようかな、と思っています。