建築を志すなら長生きしなければ

こんにちは


うー寒い!
12月ももう2週目なのですから寒いのは当たり前ですが
冬将軍が本格的にやってきましたね。


現場は着々と進んでいます。
遠隔地の現場ですが、監督さんの段取りが素晴らしい!



さて、また自分の仕事と見せかけての脱線話ですが。笑



先日、京都近代美術館で槇文彦先生がレクチャーをされるということで
急なお知らせでしたが、勇んで行ってきました。


これまでの作品を振り返って
思い出に残るできごとについて語るといったスタイルだったんですが


うー。。。感動して涙が出るほどだった。。。
つーか、実際涙こぼれました。
(←そういうことは全く意図されていなかったと思いますが)


槇先生の肉声で
これまでの仕事
建築家としての社会的な意義や使命感についての私感を聞いて
勇気百倍!


これまでの悩みが
「いいんだ、間違ってなかったんだよ」と
優しく肩をぽんぽん叩かれたみたいで
本当に癒されました。



具体的にどんなお話をされていたかというと
建築は形態が先歩きするし、人はそうして建築を評価するけれど
建築がデザインするべきはそこに現れる空間なんだ、と。


形と形の間にできる隙間、またはその周りに立ち現れる場
すべてを含めての空間。
そして建築家は空間で勝負する仕事なんだ、と。


それからもう一つは時間のこと。
建築の評価を決めるのはメディアじゃない。
お施主さんでもない。


もっと長い時間の中で自ずと評価は
ある方向性を持って行くものであり
建築家とはその時間の評価に真摯に耳を傾けて
それをフィードバックして仕事を続けていくべきなのだ、と。


何より、槇先生のたたずまいが
本当に凜としていて
そして魂がすごくピュアで、
あぁ魂を売ることなく仕事を続けてこられて
だからこそ御年80才も超えて、
今こそ生き生きと仕事されているんだな、と思うと
なんて素晴らしい人生なんだろう、
こんな風になりたい、と
心からの憧れと尊敬の念が沸いてくるのでした。



最近、自分が40に近づいたせいか
年齢と人間のあり様についてよく考えることがあります。


40を超えると、本当に生き様がその人の容姿となって出ますよね。


40を超えてあちゃーと目をふさぎたくなるほど
ぎらぎらぶよぶよした人もいれば
年を増すごとにキラキラと魅力を増す人がいる。


もう40か、、なんて思ってましたが
まだまだひよっこ
これからこそが正念場なんだな、ということを
本当にひしひしと感じる素晴らしいスピーチでした。


槇先生の最近の作品、
ますます洗練されてきて
どんどんパワーアップされている感じですもんね。
すごく素敵です。


建築で大事なこと、いろいろあると思うけれど
一番はそこに携わる人の品格だと思います。


特に、建築の設計をする人間は
実際の建物を建てるときに
大工さんのようにくみ上げることもなければ
左官屋さんのように壁を塗ることもない。
それでも、その人となりが
不思議なほどにダイレクトに伝わってきます。
だからこそ必要な設計者の人間としての品。


丹田にしっかり力が入った重心のある建物。
そういう建築を時間という先生の導きのもと
つくっていきたい、と強く思ったレクチャーでした。