対象性のやぶれとカツラの肌理(きめ)


すばらしい秋晴れです。
こんにちは。


エアコンに頼らず、汗もかかず、かといって凍えることもなく
窓を開けっ放しで過ごせるこんな時期は
生きてるだけで丸もうけといった風情があります。
あぁ、中間期最高!



さてさて。


世間の熱も醒めつつありますが
私にとってはノーベル賞にまつわるもろもろがマイブームとなっております。


ノーベル賞ってすごいね!


すごいと思ったことその1


ノーベル賞はその理論が実用性、応用性、汎用性が認められるまで
もらえないと知ったこと。
益川氏、小林氏が最初に論文を発表したのは
それぞれ20代後半、30代前半のことって、どんなタイムスパン!?
でも、そういう賞のポリシーは
なんだか素敵な感じもします。



すごいと思ったことその2


「CP対象性のやぶれ」って
まぁ私はさわりすらちゃんと理解できているかどうか謎なとこありますが
基本的に何だかロマンあるテーマだと思うのです。


もともと宇宙には粒子と反粒子があったんだけど
もしそれらの性質が本当にそっくりそのまま鏡だったら
+と−で打ち消し合ってすべて消えてしまう。
それでも宇宙にはたくさんの粒子があって
では、それはどうしてなんだろう?


こんなシンプルな疑問から(たぶん)
自然界が粒子と反粒子の間に
ほーーーーーーーんのちょっとだけ性質の違いを用意していて
それがチリもつもって(この辺クォークと絡むかもですがうやむやにしたりして)
宇宙にあるたくさんの粒子の存在を説明できることを発見!って
なんだかステキとか思っちゃいます。


なぜって、もともと自然界が用意している不均一性というのは
これくらいがいい塩梅なのよ、と言っているみたいで。



よく建築家が今世の中にすでにある建築の均質性を嫌って
不均質な建築とか言ってますが
その不均質さ加減というのが
私の目からみるとちょっと過剰というか
やりたいことやっちゃったことの言い訳みたいに聞こえるのが
少々違和感。



なんというか。
カツラって付けていればすぐカツラって分かると思うのです。
カツラの毛はどれもとてもお行儀いいのだけれど
実際の髪の毛には
ちょっとした寝癖もあれば、
少し痛んだ毛もあれば
たまに白髪もあれば、
はたまた妖気感じたみたいにぴよーんと立ってしまっているものもあるし。


そういうのも全部ひっくるめて
ナチュラルな髪の毛の肌理(きめ)なのですね。



しかし、一方で最近のカツラ業界。
部分カツラとか
もとあった髪の毛の力を活かそう!とか
カツラ業界の人が設計して何とか全部の髪の毛をナチュラルにつくります!みたいな
気負いとは別のものをデザインしようとしているところをみると
新しい風を感じたりもします。


・・・決してカツラに詳しいわけではありませんが。



勢いあまって
対象性のやぶれとカツラの肌理と建築の不均質さについて考えてみました。
(オットに発表したらブログに書いてみろと言われたので書いてみました)



ではでは!