自分の幅を広げる


暑さもやわらぎ
「もう暑さ戻らないよね?」と念押ししても大丈夫なくらい
涼しくなってきました。


ホームページをアップしても
まだキーワードをどうするかなどで(つまりどういう風に検索されたいか)
試行錯誤の毎日です。


言葉ってむずかしい・・・
いえいえ、言葉そのものは簡単だけれど
言葉と観念を結びつけて
そしてそれをきちんと届くようにしてやるのが難しいのでしょうね。



・・と言葉と思考のことを考えているうちに
宗教ってどういうことなのかな?と
そこまで飛んでいってしまいました。(秋だけに


というのも、義両親と今までになくひんぱんに接するようになってから
わたしが無意識のうちに基本にしてきた生活のルールみたいなものが
結構違うな、と改めて思ってみたり。


でもその違いというのは
人類を2つに分けるくらいでは同じところに属しそうなんだけど
方法、信じる信じない、好き嫌いを
具体的に生活のなかで照らしあわせてみると
決定的に違うところがあるのです。


で、こういうのが「宗教」なのかな?と思ったわけで。


たとえば人間はご飯を食べるとか
家族をつくって子孫を増やすとか
そういうところまで突きつめてしまえば
どこの宗教も一緒なのかもしれないけれど
たまにご飯をまったく食べない時期があるのか、ないのか、とか
子孫を増やすために妻は1人なのか
もっとたくさんいてもいいのか、とか。


話戻って。


義両親(オットも含めて)と
わたしの「宗教」の違いはどこから来るのかといえば
結局「民族」とか「文化」とか
そういう違いから来るんだろうな、ということもナットクできるわけです。


そして異なる「宗教」から自分の「宗教」を
否定されたり押しつけられようとすると
争いに発展するのも、分かる。


さらに、「小さな争い」を「戦争」にしてしまわないためには
陳腐な解決法だけど
相手の「宗教」を知るというのは
とても大切なことなんだろうな、とも思ったり。


その知り方というのも
通りいっぺんに知るというのでなく
相手の「宗教」が、どういう原理や理由から
その信じる・信じない、好き・嫌いからおこす行為に至っているのか
その思考回路を理解するというのが
効いていくように思われます。


思考回路が理解できれば
まずは「なんでそうなったか」の根拠が見つかって
自分はしないかもしれないけど
相手がそうすることが理解できるようになる。


そして、時間はかかるかもしれないけれど
相手の「宗教」の一部が
自分の「宗教」によりなじむ部分が見つかったら
そうして自分の好きの幅を増やしていってやればいいのかも。


・・考えただけでも遙かなる道のりですが。


オットの「宗教」のほうが
つきあいが長いのに大して気にならなかったのは
わたしの「宗教」がもっぱら力を入れている
ご飯をつくること・食べること、に
ふだんほとんど関わっていないことと
オットの「宗教」は
わたしの「宗教」とほとんど対等なところにあって
発言が自由だからなんでしょうね。
(だから「宗教」って優劣がつくと、こじれるんでしょう。)



やってみないと分からないことって
ほんとにたくさんあるなぁとしみじみしながら
「自分の幅を広げる」
言えば意識できるかなぁという希望から、ちょっと書いてみました。
(書いたあとでなんですが、
実際こぜりあいがあるとかということでは、ありません。あしからず。)


ではでは また!